《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”関係性”の時代に自分とどう向き合うか?」 -23-
自分がしたことが、
他人にどんな影響を与えているか知ろうとしない人は、
自分が”やりっ放し”にしたことには全く気付けていない。
電車に乗ると、
私はたいてい、
連結部に近いところに乗る。
連結部は人が通るたびに、
ドアが開く、
当然のことである。
ところが、
気を付けて見ていると、
ドアを開けて、
自分が通ったあとはそのまま、
ドアを閉めないで行く人間もいる(最近は自然に締まるのが多いが・・・)。
半分開いたままで、
中途半端な状態で隣の車両に行ってしまう人。
駅の公衆トイレで、
そのまま流さない不届きものもいる。
チョッと郊外の道路に出ると、
コンビニで買った弁当のゴミが、
袋に入れられて、
道路脇の植え込みに捨てられていたり、
環七や環八の分岐帯の中には
よく缶コーヒーの空き缶が捨てられているのを見る。
こういうことをする人は、
『用を足した後・・・自分の尻は拭くのかな?』と、
時折、真剣に考えることがある。
自分の後始末をしない人というのは、
大概、
罪の意識がご本人には全くないことがほとんど。
会社なり、
地域なり、
一つのコミュニティーに存在している私達は、
こういう小さな基本的なことこそが、
「関係性」を築くうえで極めて重要なことなのである。
自分で開けたドアは自分で閉めて、
トイレは使ったら流して、
ポイ捨てはしない。
周囲の人達が、
きっと真似をしたくなるような行動連鎖の礎になることこそ、
「関係性」の真髄といえるのだろう。