第2,240号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”関係性”の時代に自分とどう向き合うか?」 -24-

先日、
受講生の結婚式に招かれ、
こんなスピーチをさせていただいた。
『本日はおめでとうございます。
新婦にチョッと伺いたいことがあるのでが・・・。
彼のプロポーズは受けられましたか?』
『ハイ!(チョッと照れながら)』
『そうでか、それは何よりでした。
その時、彼は”必ず幸せにするから!”といいましたか?』
『ハイ!いってくれました』
・・・とここまでは問題のないスピーチ。
次の私の言葉で、
会場から少し声が漏れた。
『えっ~?』
『ほぉ~!』
その言葉とは、
『”幸せにするから”という彼の言葉は、
そのまま返品されることです。
我が国には、
結婚したら両親の代わりに、
夫が”幸せにしてくれる”という考え方がまだまだあるようですが、
”幸せ”というのは、
誰かが与えてくれたり、
お願いすると頂戴できるものなのでしょうか?
お金持ちの家に生まれなかったから私は不幸。
夫は仕事仕事で家庭にいないことが多いから不幸。
内の旦那の会社は倒産したからもう先がないのと同じだから不幸。
いろいろ不満を口にしながら、
私達は生活をしていることが多くありますが、
これは、
どれもこれも、
「自分の力で自分の意志で”幸せ”を感ずる」という
思いが無いからだと思うのですが?
新郎がプロポーズの時に口にした、
「”幸せにするから”」という言葉は返品することです。
そして、
私達に与えられている”人生における保証”は
死ぬということだけです。
おめでたい席でなんですが、
それは明日かもしれない、
来月かもしれない。
この摂理を忘れずに、
今日からお二人の生活基盤であるご家庭の中で、
それぞれに、
それぞれの役割を
悔いの残らぬよう自責を持って取組まれてください。
そうすれば、
意外と早く”幸せ”という体感を感じ取れると思います。
その日が1日も早く来るようお祈りしております』

結婚式のスピーチで
死ぬ話などダメかな?と思ったんですけど(笑。

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