《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -19-
人生という登山道で、
”自分をその頂に置く””ということは、
自分勝手に、
我が侭を通すように過ごせということではない。
つねに自分自身を見つめ、
自分の足元を見据えて進むことで、
「自省と自制」が必然的に芽生え。
そこに”自責の姿勢”というのが必然的に身に付いてくる。
人はそうなってくると、
「本来の自分」というのが蘇ってくる。
心が緩やかになり、
今まで閉じこもっていた殻を内側から破り出て、
同時に、
今まで「見たくない!」と目を背けていた、
自分自身のネガティブな感情も垣間見え始める。
なんで自分がこういう姿勢で生きるようになったのか?
小さな頃のあの経験か?
若かりし時代のあのことか?
俗に”トラウマ”というようなものまで出始めてくる。
私のセミナーでは、
このプロセスを「素言(そげん)」というカリキュラムで取組んでいくが、
些細なことで涙する受講生もいる。
今までの、
演じていた”自分ではない自分”との葛藤の中で、
全く口ごもってしまう受講生もいる。
このプロセスはある意味、けっこう辛い時間かもしれない。
この「素言」という時間の中では、
無理に話す必要などない、
話したくないことは話さなくても良い。
無理に自分を奮い立たせようとしたり、
ポジティブな発言をしなくても良い。
ただただひたすら、
自分のこれまでを振り返り、
自分で自分と向き合い、
湧いてきた感情をそのまま吐き出してもらう時間だ。
素直に、
このプロセスに向き合った人だけが、
この時間で間違いなく、
自分で自分自身をはっきりと”自覚”することができる。
でも一部の人は、
そんな中でも、
”自分を演じる”ことから抜け出そうとしない受講生もいる。
続きはまた明日のブログで!