《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「運命とは”目の前の選択結果の積重ね”」 -19-
「直観」というものは必ず当たる。
もし当たららない時は、
それは「直観」というものではなく、
自分の”魂(心)”に潜む
欲や虚栄がさせる”予測”でしかないだろう。
誰にでもその経験はあるはず。
大きな決断や、
意味のある決めごとを前にした時、
その「選」にこれといった根拠もないのに、
まるで誰かが、
自分の背中を押しているかのような感覚で「選択」し、
それがものの見事に当たったことが。
これを自覚できる人は、
今後も自分の「直観」に自信をもって良い。
では人はなぜ?
そう言い切れるものと、
そうではないものがあるのだろうか?
それは自分の「選択」を”自責”をもって行ったかどうかだ。
たとえその結果が、
最初は自分が思い描く状況とは違っていても、
何年か。
何十年かした後に、
その「選択」が正しかったという現象が必ず起こる。
”自責”をどこかに置き忘れた「選択」はつながらない。
『だって〇〇がやった方が良いって言ったから・・・』
『俺は嫌だったんだけど・・・・△△が・・・』
こういう意志気(意識)で向き合った行動は、
”循環”というベースには乗ってこれない。
循環という流れに乗れなければ、
「気」はそこに留まるだけになり、
”経験”という価値すら手にすることは難しくなる。