《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”心配事”から自分を解放しよう!」 ー31-
こんな面白いことわざがある。
”口喧嘩をするには二人いなければならないが、
それをやめたければ一人になればよいことだ”
口喧嘩のほとんどは、
相手の言動が発端となり。
相手ばかりに目と意識を向けることで生じてしまう。
そのくせ私達は、
自分の言動にどう反応しているかについては全く無関心になる。
もちろん、
相手の言動が理不尽で本当におかしい場合もあるが、
それは相手の問題で、
私達がどう反応したかは自分自身に責任がある。
それこそが自分で変えられる唯一のことなのに、
多くの人はそれを知っていながら、
相手を変えようと躍起になる・・・不思議なものだ。
それは、
相手を責めることはプロセスの始まりに過ぎないのに、
いつの間にか、
それ自体が最終ゴールのように勘違いしだしてしまう。
企業組織の管理職の中にもいる。
部下を”叱責する”ことがマネージメントと思い込んでしまう。
本当に大切なことは、
誰が責められるべきか?
何が責められるべきことなのかではなく、
自分が何を感じ、
何を必要としているのか共有することなのに。
相手を責めてもそれで事態が好転することはまず在り得ない。