第2,423号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-27-

 

苦しんでいる人、
悩んでいる人を目の前にすると、
私達は励ましの意味から、
ついつい、
前向きな言葉をかけたくなる。
事故にあった人には、
『不幸中の幸いだよ!』と、
でも、
大切な車は滅茶苦茶になり、
もう乗ることもできない。
癌を宣告された人には、
『これも運命だ。意味のあることなんだよ!』と、
いささか乱暴すぎるぐらいの言葉だって投げかけてしまう。
こういう言葉は、
言ったご本人がそうなった時に抱けばよいことで、
決して、
傍からいう言葉ではないような気がする。
よく、
ビジネスの世界でも、
相手に明るい言葉をかけていると、
自分も明るくなっていくとか、
いつも前向きな言葉を投げかけていると、
自分だけではなく、
周囲の人までも前向きになるといったような
表現を見ることがあるが、
これは新興宗教の呪文のようなもの。
私達の目の前に起こる”出来事(現象)”は、
決っして、
ポジティブになったからといって、
その問題が解決していくわけではない。
それは、
一時的にテンションはあげられても、
気持ちだけで現実を変えることはできない。
借金をして、
『そのうち何とかなるさ!』といいながら、
生活そのものを変えないでいれば、
借金はいつまで経っても返済できない。

私のセミナーの中心的な話の中に、
”出来ること”と「やれること」の違いというのがあるが、
『自分なら”出来る!”。
まずはこう自分自身に言い聞かせることだ!』
こういう姿勢が一番危険。
”出来ること”ではなく、
私達が向き合えるのは、
あくまでも「やれること」だけという真理を知ることだ。

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