《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”心”を「風」のごとく!」 ー77ー
先日、
この夏に亡くなった親友の四十九日法要に出向いた時、
そこに飾られていた彼の遺影を見た時、
不覚にも嗚咽してしまった。
ご住職の読経中もそれは止まらず、
読経が済んで、
恥ずかしさもあってすぐさま席を立ち、
寺の中庭にある池のほとりにいると、
先ほどのご住職がやってこられ、
『仏さまとは深いご関係だったのですか?』
『はい!子供の頃からの・・・・・』
『そうでかぁ~ご兄弟のようなものでそれはお辛いですねぇ~』
私が項垂れていると、
『でも仏様が困ってらっしゃいますよ。
自分が先に逝ったことであなた様を苦しめているんのではと。
実はこれも私達の”自我の執着”なんです。
”執着”はご自身だけではなく仏様も苦しめることになります。
何よりもあなた様がいつまでもお元気でお幸せであることです』
この言葉は響いた。
セルフデベロップメントで学習している、
「仏性セミナー」の中でも学んだが、
つい忘れてしまっていた。
私達には手元に入って来るものもあれば、
いずれは手放さなくてはならないものもある。
この現世での「命」ですらそうだ。
誰でもいつかは必ず手放さなくてはならない。
そして「手放さなければ新しいものは入ってこない」。
これもまた「原理原則」だといえる。