第2,059号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -28-

 

昨日のブログで、
自分の「性格」とは、
自分自身で思い込む主観的なものというお話をした。
その根底にあるのは、
3歳を過ぎた頃からの経験や体験。
長く脳内にしみ込んだ思い込みは、
なかなか変えることは難しい。
というよりも、
これもいつも言っているけど、
基本的に「性格は変えられない
でも、
その”思い込み”の方向だけは変えることが可能

今日はその方法について。

それは、
あなた自身の”基準変更”だけ。
目の前に起こる”出来事現象)”に対する、
喜び、
怒り、
嫉妬、
迷い、
こういったチョッとした感情基準を変えてみること。
自分はどんなことに喜びを感じるのか?
自分はどんなことに嫉妬し、
どんなことに怒りを感じ、
どんなところで迷いを感ずるのか?
そして、
それは、
どんなことがきっかけでそうなったのか?

そういうことを一度書き出してみると良い。

私は、
サラリーマン時代、
報告連絡相談」この3つ
しっかりと実行しない部下を評価しなかった。
それは、
組織人というのは、
いかなる理由があろうと、
この3つだけは、
細部にわたり、
行うことが当たり前という”基準”を持っていたから。
それと人事部長という役職も、
そうさせていたのかもしれない?
『人事部長は全従業員の手本にならなければ!』
こう思い込んでいたから。
だから周囲からは、
よくいうと几帳面
悪くいうと細かすぎる
この「性格」は自分でも自覚していたから、
サラリーマン時代は、
これが”悩み”というかイライラになっていた。

でも、
ある時をきっっけに、
その”基準”を変えることにした。
今でも時折、
そうした相手に出会うと、
「こんなこともやれないのか?」と腹立たしくは感ずるが、
それもこれも、
”全ては必然”と捉えることにしてから、
目の前の”出来事現象)”に対する反応方向を変えられた。

つまり、
○○な性格だから△△を許せない!」という思考に
変化が生まれ、
○○な性格だからこそ△△を許せる!」という方向に。

それがやれるようになったのは、
55歳を過ぎてからだった、
30年以上の付き合いがある、
ある著名な先生から、
『最近やっと”オーラを感じなくなったね』と。

思い込みの肩書は、
方向を変えるだけで肩から降ろせる
人は「性格は変えられなくても
自分の≪志意≫を変える、
つまり、
意志意識)を変えれば、
自分自身が抱く”思い込み”も変わるということ。

明日は志意(しい)≫という言葉について。

 

 

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