《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分は心が”折れ易い人か折れ難い人”か?」 ー17-
「自己承認」という言葉があるが、
どうもこれを誤った解釈で、
「何でも良いから自分を認める」
「誰に何と言われようと私はこれで良いのだ」
こんなふうに受け止めている人も多くいるようだがこれは大間違いだ。
「自己承認」とはあくまでも「自責観念」の中でしか存在しないものだ。
そのためには「全ては自分」という「原理原則」を切り離すことが出来ない。
言い替えるなら、
「自分が”やれること”は100%確実に”やる”という自覚と覚悟」がまず必要だということ。
どこの社会でもそうだが、
組織に中に入れば横柄で横暴で理不尽な人間はいくらでもいる。
いちいちそういう輩と闘っている暇など人生には無いかもしれない(そういう輩と闘うことが自己成長につながっていく)かもしれない?
そういう輩と闘っていく上でも、
まずは”自分は「自分」でしかない”ということ。
いくら正論を並べて迎え撃とうとしても、
自分自身が挨拶もしていない。
時間管理がやっていない。
整理整頓もやらず金銭管理もルーズで借りたものも返していない・・では、
”眼糞鼻糞”の世界でそれではお話にもならないということ。
「自己承認」とはそういう「原理原則」の上に立ってはじめて成り立つものだ。
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