《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「自分の人生に”他人”を引き入れるな!」 ー72-
少し難しい話が続いてしまったが、
「利他」と”他利”の関係をもう少し解り易く言うなら、
日頃の「挨拶」を思い返せばよい。
口先だけで、
表面的にこの「挨拶」と向き合う組織は、
”明るい挨拶は周囲をも明るくさせる”とか、
”あなたの明るい挨拶が職場全体を明るくする”とか・・・・、
こういった表面的なところだけに
「挨拶の目的」というものを受け止めていくと、
それに向き合う人達の多くは、
”「挨拶」をする”というその「本質的目的」を見失うから、
ストレスしか生み出すことが出来なくなっていく。
ましてや、
”相手を明るくする「明るい挨拶」はそのままあなた自身の魅力となっていく”・・・・などと、
ここまでくると、
もう自分の”傲り”でしかなくなっていき、
昨日のブログでお話した「利他の精神」は”他利=自利”へと変化していく。
つまり、
”誰かに喜んでもらう”というのを表面的にだけとらえると、
「自分が相手に喜んでもらいたい」という”自利”でしかなく、
それは”他人を利用する行為”でこれを”他利”という。
「挨拶」は、
相手に喜んでもらうためにするのでもなければ、
相手を元気にするためにするものでもない。
そんな意識を持っているから、
自分が挨拶をして、
相手がそれに返してこないことに腹が立つ。
「挨拶」とは自らがコトに向き合う時に、
自分自身の心の中に眠る、
あの「4つの”気”」を確認するためにするものに他ならない。
つまり、
「挨拶」とは”自分が自分に向けて行う「行動仕切り」”。
これを忘れてはならない。