《“ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「私達は多くの“思い込み”に左右されている!」-14-
毎月一回学ばせていただいている「仏性セミナー」。
よく僧侶などの話や、
古典を読むと、
聖人君子のような生き方をしなくてはいけないような、
そんなお話をされたり書かれていたりする。
怒ってはいけない。
悲しんではいけない。
他人を受入れ許しなさい。
これもやっぱり“思い込み”だった。
怒ってはいけない。
これは感情を怒りの中だけにしまい込むなということ。
誰かが、
誰かを傷付けるような行為をしたり、
いくら注意しても意識して改善を計らない行為には
怒るべきなのである。
悲しんではいけない。
これも同じで、
いつも悲しみの中に埋もれていてはいけないけど、
悲しいことが起きたら悲しめば良い。
悲しんで涙すれば良い。
でも、それをいつまでも引きずってはいけないということ。
他人を受入れ許しなさい。
他人を受け入れるとは、
自分との違いを自覚認識しなさいということで、
相手の言う通りにしなさいということではない。
許しなさいも、
自分に害を及ぼすことをされても、
黙って受入れ、
その怒りを飲み込みなさいということではない。
そんなことをしていたら人間じゃなくなるそうだ。
そういうことは仏様になってからすれば良いこと。
私達は死ななきゃ仏様にはなれない。
だから、
お坊さんのお話の初めには、
必ず、
『仏様はこう仰っています!』っていうでしょ。
まるで、
自分が仏様にでもなったように、
『こういう生き方をしなくちゃいけせんよ』って
それが器の大きさだと語っているような人は信じないことだ。
だって私達は人間なんだから。