第1,888号・ブログ

《“ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》

「私達は多くの“思い込み”に左右されている!」-14-

 

毎月一回学ばせていただいている「仏性セミナー」。

よく僧侶などの話や、

古典を読むと、

聖人君子のような生き方をしなくてはいけないような、

そんなお話をされたり書かれていたりする。

怒ってはいけない。

悲しんではいけない。

他人を受入れ許しなさい。

これもやっぱり“思い込み”だった。

 

怒ってはいけない。

これは感情を怒りの中だけにしまい込むなということ。

誰かが、

誰かを傷付けるような行為をしたり、

いくら注意しても意識して改善を計らない行為には

怒るべきなのである。

 

悲しんではいけない。

これも同じで、

いつも悲しみの中に埋もれていてはいけないけど、

悲しいことが起きたら悲しめば良い。

悲しんで涙すれば良い。

でも、それをいつまでも引きずってはいけないということ。

 

他人を受入れ許しなさい。

他人を受け入れるとは、

自分との違いを自覚認識しなさいということで、

相手の言う通りにしなさいということではない。

許しなさいも、

自分に害を及ぼすことをされても、

黙って受入れ、

その怒りを飲み込みなさいということではない。

 

そんなことをしていたら人間じゃなくなるそうだ。

そういうことは仏様になってからすれば良いこと。

私達は死ななきゃ仏様にはなれない。

 

だから、

お坊さんのお話の初めには、

必ず、

『仏様はこう仰っています!』っていうでしょ。

 

まるで、

自分が仏様にでもなったように、

『こういう生き方をしなくちゃいけせんよ』って

それが器の大きさだと語っているような人は信じないことだ。

だって私達は人間なんだから。

 

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