第2,248号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”悩み”を考える!」 -2-

 

一口に”悩み”といっても、
大きく分けると
この「悩」という文字が示す通り3つある。

その一つは「過去」。
人は過去の経験や体験の積み重ねによって、
今の自分が創られている。
楽しかったことや、
嬉しかったことは良いのだが、
悲しかったこと、
辛かったこと、
他人には語れないようなこと。
こういう経験や体験が「過去」にあると、
どうしてもその記憶は強く脳にしみ込んでいて、
『忘れたい!』
『忘れよう!』と思えば思うほど、
さらにしつこくこびり付いてくる。

二つ目は「他人」。
私達の多くは、
自分の幸せを測るのに、
”他人と比較する”ことでしか感じ取れないことが多くある。
『あの人よりも収入が多いか少ないか?』
『あいつの会社より俺の会社の方は有名だ!』
『あいつは良いよなぁ~俺なんかさぁ~』
挙句の果てには、
『若い奴は良いよなぁ~』
『あいつ同じ歳だけど白髪が無くて良いよなぁ~』と、
こんなレベルまで他人と比較して、
今の自分を推し測ろうとする。
そこから生みだされるのが、
三番目の”悩み”・・・・「煩悩」・・・簡単に言うなら”欲”。
難しく言うならば、
”惑(わく)”、随眠(ずいみん)という仏教用語にある、
悟りの境地を邪魔する精神作用といわれるもの。

こうしたことは本当に”悩み”といえるのだろうか?
言い替えるなら、
”悩み”の中でもこういうものは「解決可能な悩み」といえる。
経済的な悩みとか、
健康上の悩みとか、
人間関係の悩みとか、
仕事の悩みとか、結婚生活での悩みとか、
確かにその時のご本人にしてみたら、
その人にしか理解できない大きな”悩み”だったんだろう。
でも、
どれもこれも、
全ては「解決可能」なこと。

世の中には、
「解決不可能な悩み」を持たれている人がどれほど居られるか?
いくら時間を費やしても、
いくらお金をかけても、
いくら知恵を絞ったところで、
その状況が全く変えられない”悩み”を持たれている方。
そういう”悩み”と比べたら、
いくつかの解決方法がある”悩み”というのは、
もしかしたら”悩み”とか
苦労というものではないのかもしれない。

心に凶器のごとく突き刺さる3本の矢。
”過去”、”他人”、”煩悩”。
これを”悩み”と捉えているのなら、
チョッとだけ切り口を変えて”悩み”と向き合った方が良いかも?

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