《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-59ー
人間関係の基本は”思いやり”だ。
ところが、
これを表面的にだけ受け留めて、
自分のこと我慢して、
自分に我慢させといて、
他人に優しくしたり、
相手の立場になってとか受け止めるから、
とんでもない方向に向いてしまう。
好かれるために、
嫌われないためにする”思いやり”は「重い槍」になるだけだ。
”思いやり”・・・・、
私はその「本質」は”自責”だと考えている。
サービス業など研修でもよく話させていただくが、
ホスピタリティーとか、
”思いやり”とか、
こういう言葉が出ると、
「見返りを求めない行為」といった表現が付いてくるけど、
私達の行動原点が”欲”である以上、
「見返りを求めない行為」などというものは存在しない。
それなら全てボランティアにしてしまうことだ。
ボランティアだって「見返り」が付いてくる。
『あぁ~良いことをしたなぁ~』という、
気持ちが満たされる「見返り」が・・・・・。
”思いやり”とかホスピタリティーを、
「見返りを求めない行為」と解釈している人は偽善に近い。
「見返り」・・・・求めたっていいんだ。
人間社会もビジネス社会も”てんびん棒”だ。
売手は商品とそれに伴う付加価値を提供し対価を頂戴する。
買手は受け取った商品と付加価値に満足すれば次もまた、
『お願いします』という「感情」が沸き起こる。
お互いそこには”「見返り」のバランス”で保たれている。
そして、
この”付加価値”こそが、
売手も買手も自分自身がそれに向き合う「在り方」そのものといえる。
ところが・・・・・、
”思いやり”を表面的に受け止めて、
「見返りを求めない行為」と意識し過ぎていくと・・・・。
続きは明日のブログで。