《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「私達は多くの”思い込み”に左右されている!」-8-
今日はごくごく身近な”思い込み”のお話。
私達が一番苦手なこと。
それは人の話を聴くことかな?
特に、
自分のことを指摘されると、
なかなか”素直”に「聴く耳」が持てなくなる。
私なども、
他人様に偉そうに語ってはいるが、
身近な人に言われるほどチョッとしたことで素直になれない。
先日も、
TVをつけっ放しで寝入ってしまったら、
やっと気持より眠りについた頃、
妻が、
トントンと額を叩いて、
『お父さんTV・・・・』
寝ぼけ眼で、
『うぅ~ん・・・あぁ~』
『あぁ~じゃありません!』ときつい一言が。
心の中で、
『ついてたら消せばいいだろぉ~』と、
自分がやったことはそっちのけにして、
心の中で反論(もちろん音声には出せませんから〈笑〉)。
この”耳”というのは
いったい何のためについているのでしょうかね。
昔は”音を聴くため!”と思い込んでいました。
でも、
それは全くの勘違いで、
この”耳”・・・・。
実は、
「聴きたい音(声)と聴きたくない音(声)を聴き分けるため」
この役割を果たすために付いていたんです。
だから、
自分の好きな音、
ほめ言葉、
耳に心地よ響きの言葉には、
「素直」に反応するんでが、
逆に、
親父の小言や、
上司の叱責。
自分に向けられた忠告や指摘などは、
知らず知らずの内に、
”聴いている素振り”をするだけになってしまう。
私達のこの”耳”は、
”目”と共に、
自分を守り、育む欠かせないもの。
しっかりとその役割を認識して使っていかないと、
全く役に立たないどころか、
逆効果へも知らず知らずに導かれてしまうということ。