第1,882号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》

「私達は多くの”思い込み”に左右されている!」-8-

 

今日はごくごく身近な”思い込み”のお話。

私達が一番苦手なこと。

それは人の話を聴くことかな?

特に、

自分のことを指摘されると、

なかなか”素直”に「聴く耳」が持てなくなる。

私なども、

他人様に偉そうに語ってはいるが、

身近な人に言われるほどチョッとしたことで素直になれない。

先日も、

TVをつけっ放しで寝入ってしまったら、

やっと気持より眠りについた頃、

妻が、

トントンと額を叩いて、

『お父さんTV・・・・』

寝ぼけ眼で、

『うぅ~ん・・・あぁ~』

『あぁ~じゃありません!』ときつい一言が。

心の中で、

『ついてたら消せばいいだろぉ~』と、

自分がやったことはそっちのけにして、

心の中で反論(もちろん音声には出せませんから〈笑〉)。

 

この”耳”というのは

いったい何のためについているのでしょうかね。

昔は”音を聴くため!”と思い込んでいました。

でも、

それは全くの勘違いで、

この”耳”・・・・。

実は、

「聴きたい音(声)と聴きたくない音(声)を聴き分けるため」

この役割を果たすために付いていたんです。

だから、

自分の好きな音、

ほめ言葉、

耳に心地よ響きの言葉には、

「素直」に反応するんでが、

逆に、

親父の小言や、

上司の叱責。

自分に向けられた忠告や指摘などは、

知らず知らずの内に、

”聴いている素振り”をするだけになってしまう。

 

私達のこの”耳”は、

”目”と共に、

自分を守り、育む欠かせないもの。

しっかりとその役割を認識して使っていかないと、

全く役に立たないどころか、

逆効果へも知らず知らずに導かれてしまうということ。

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