《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「「リーダー」という役割の”仮面”」 ー9-
私達は学校教育でも家庭教育でも「協調」というものを学習させられてきた。
ところがこの「協調」というものを”合わせる”と、
誤った解釈のまま大人になっていった人も多くいる。
アメリカで仕事をしていた頃、
この「協調:合わせる」の違いをまざまざと教えられたことがある。
会議の席などで誰かと大きく意見が対立したりすると、
日本ではその後は目も合わせない人が多くいるが、
アメリカでは私の知る限り全くそういう人はいなかった。
会議が終わると、
そんな意見を戦わせた相手がいの一番に歩み寄って来てくれて、
『Nr.NEGIランチに行こう!』と声をかけてくれた。
空気を読むことばかりを教え込まれてきた私達は、
まず会議で真っ向からぶつかり合うことすらする人が少ない。
マネジメントを司る「リーダーの役割」は言い換えるなら国語ではなく数学だ。
チームの一人ひとりが、
「自分の足元見据えて”自らのやれること”をとことんやる」
これに尽きる。
つまり、
メンバーが10人いれば「1+1+1+1+1+1+1+1+1+1=10」になるということ。
”1+1=2”を数学ではなく国語で説く人はいない。
この公式の共有化の徹底こそが「リーダーの役割」といえる。
これや滞ると、
『1+1・・・・っていくつでしたっけ?』
『私は3だと思っていたけど・・・・・』
『先月、リーダーに教えてもらった時は4って言ってけど・・・・』
こういう向き合い方が”国語の向き合い方”で言い換えるなら感情管理という。
こんなチームでは目標の達成はおぼつかなくなる。
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