第3,893号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人は誰もが生まれながらに”感導力”を備えている!」 ー34-

 

感動」というものが、
現象的にとらえた出来事から受ける”感情”なら、
感導」は、
その象的な目に見える出来事を越えて伝わってくる波動のようなものといえるだろう。
相手の希望するレベルと現実のギャップ。
つまりそこには、
相手の希望を超えるプラスの不等号が存在しなくてはならない。
そのプラスの不等号ををクリエイトすることでしか”ドラマ”は生み出されていかない。
等号」”では何も生み出せないということ。
さらに、
それが”マイナスの不等号”では生み出されるのは「悲劇のドラマ」だけになる。

さらにいうなら、
この”プラスの不等号”をクリエイトする時に、
決して計算したり、
絵図を書いたりすると、
その「感導ドラマ」はフィクションになっていってしまう。

感道ドラマ」は、
ノンフィクション”だからこそ価値がある。

「これならお客様も喜ぶだろう」
「これならお客様の役に立つだろう」
「お客様にとって魅力ある価値を提供しよう」
こういう意識を根底に描きながらの行動は、
いつも言っているけど、
全てが”自我行為”でしかない。

つまり、
不等号か?
等号か?
この対象は”相手”ではなく「自分自身」だということ。

ここを誤ると、
企業内の人材教育も、
一時的なテンションは上げられても、
従業員にストレスを与えることになるので継続性に欠けてくる。

 

 

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