《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「この春、社会人になった君に贈るメッセージ」 -7-
私達はいったいなんのために働くのか?
私がこの疑問について真剣考えるようになったのは、
50になってからだった。
今から思えば、
もっと早く、
このことについて考えておくべきだったと反省している。
なぜなら、
人生はさまざまな誘惑が待ち構えている。
”誘惑への門は果てしなく広く”その間口を広げて待っている。
いうならば、
これこそが人生の試練なのかもしれない。
もう一般的には定年退職をしたこの歳になった今、
「試練の場として与えられたのが働くということなのだ」と
しみじみ痛感している。
20代の頃は、
苦しい家計を少しでも助けようと、
がむしゃらに働いた。
残業も好んでやった。
まさに”稼ぐため”に働いていたといってよい。
30代になってからは、
社会人生活に慣れるとともに、
ビジネスマンとして、
他の誰よりも認められようと、
いつも№1を目指して必死だった。
自分への評価は、
他人と比べることでしか出来なかったといってもよい。
だから、
”№1!などと一過性の価値しかにものを追い求めていた。
40代になったら、
管理職として
部下をいかに使って成果を上げるかだけを考えていた。
だからどちらというなら、
横暴でワンマン的な管理職だったかな?
そして、
どんどんと未経験のことにチャレンジし、
社内のだれもが困難で嫌がることを好んで取組んでいった。
振り返れば、
私の成長過程は、
まさに、
”マズローの欲求5段階説”にそって進んでいたかもしれない。
①の”生理的欲求”から②の”安全の欲求”そして・・・、
③の”社会的欲求”から④の”自我の欲求“と登り、
40代後半で、
最後の”自己実現の欲求”という段階に入り、
仕事はまさしくそのために取組んでいると思い込んでいた。
そして、
50代を迎え、
その思い込みはたちまち打ち砕かれることになった。