《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「私達は多くの”思い込み”に左右されている!」-19-
”知識”と”知恵”の違い。
私達は目の前に問題が起こると、
多くの場合、
それを”知識”で解決しようとすることが多い。
例えば、
会社の利益や売上が下がると、
新店を出して盛り返そうとする。
まるで、
売れないレストレンが
新メニューさえ出せば巻き返せると信じ込むように。
逆に好調な時も、
『今が絶好調!この勢いに乗ってどんどん出店しよう!』とか。
サービス業のお店では、
クレームが無くなり、
従業員に笑顔があると『これで良い!もう大丈夫!』とか。
朝礼で大きな声を出して、
元気よくやっているのを見ると、
『よく訓練されていいる!』と安心してしまったり。
こういうことだけをゴールと”思い込んだり”。
解決策と”思い込んでいる”と、
全て失敗する。
それは、
切れた電気コードをつなぐだけで、
物事が解決したと”思い込む”のと同じだから。
”知識”と、
”知恵”の違いは・・・、
それを解決するのに、
その「メカニズム」を心しているか否かということ。
昨日のブログでもお話しした、
ゴルフで曲がるボールの弾道をどう直すかと同じ。
私達の人生にも、
ビジネスにも毎日のように問題が発生する。
多くの場合、
これを「知識」だけで解決しよとするが、
こういう状態を、
仏教の世界では
《無明(知恵を出していない状態)》という。
つまり、
その目の前に起きた”出来事(現象)”のメカニズムを考えず、
もの状態をだけを、
自分の思いの通りにしようとしている様である。