第2,268号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”悩み”を考える!」 -22-

 

人は100人いれば100通りの人が存在するように、
人の幸せもまた、
人の数だけ存在する。
会社だって、
家庭だって同じだ。

誰かの姿を見て、
どこかの会社やお店を見ては、
『あの人は良いなぁ~!』
『あんなお金持ちになりたいなぁ~!』
『あんな人のように有名になりたいなぁ~!』
『我が社もA社のように!』
『あのお店のように〇〇スタイルで!』
こういうことって全く無駄なことのような気がする。

人は何をして生きているのか?
どのくらいのランクで生活しているのかより、
「どう生きているのか?」の方が極めて重要なこと。
どんな仕事をしていようと、
どんな地位にいようと、
そこにはそれぞれの”使命”が存在しているはず。
それこそが「天命」であり、「宿命」といわれるものかもしれない。
その「天命や宿命」に従って、
”やれること”を懸命に誇りをもって取組むことこそ、
”精進努力”しているということではないだろうか?
そういう人は、
いま自分が「幸せ」だとか”不幸せ”だとか
考える暇さえないはず。
なぜなら無我夢中で取組んでいるから。
そして、
そんな姿勢が、
誰かのためとか、
お客様のためとか、
会社のためといった結果を必然的に呼び寄せることになり、
いつしか、
自分の進歩向上の喜びが、
他に役に立ていたという喜びさえも
生み出しているのではないだろうか?

”使命感”を持って行動していると、
人はいつしか
喜びや幸せの次元さえも高くなっていくような気がする。
”他人軸”ではなく「自分軸」で生きるとはこういうことかな?

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