《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「いま抱えている心配事は9割がた起きない!」 ー32-
”心配事(悩み)”の多くは結果を気にしすぎることから起こる。
『失敗したらどうしよう?』
『これを上手くこなしたら評価が上がるだろうか?』
『○○さんは好意を持ってくれるだろうか?』
こうしてまだ起きてもいない先のことを勝手に妄想しながら考える。
どれもこれも「やってみれば・・・判ること」なのに・・・。
どうして人はこうも結果ばかりを追い求めたがるのか?
これも私達の行動原点が”欲”である以上仕方のないことだが、
その前に大きな原理原則が立ちはだかっていることを自覚しなければ・・・、
こればっかりは変えることはできないのだから。
その原理原則とは・・・・。
「結果」とは”自分が思い描く現象”ではなく、
あくまでも「結びめの果てに存在する現象」を指しているということ。
「結びねの果て」
つまり、
一つひとつ「結びめ」を固めて作っていく作品のようなものということ。
思い描くだけで手に入ったり、
諦めずに願えば手に入るものではなく、
自分自身の「一つ一つの積み重ね」で手に入るものということだ。
そもそも”失敗”とは、
自分が思い描くように成らず”上手く行かなかったこと”ではなく、
「敗れて失うもの」のことを指す。
「敗れて失うもの」とは・・・・、
自分自身に“敗れる”とそこで失うものは「気力」であり、
「気」を失うことはすなわち、
”死すること”を意味していると古典には記されている。
でも現代では”失敗”したところで命まで取られるわけではない。
もう一度いう。
”失敗”とは思い描くとおりにならなかったことではなく、
その「結果」から何一つ気付きを得なかったことをいう。
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