第5,121号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」   ー196-

 

天風哲学の中に「真我」という言葉が出てくる。
この「真我」とは、
本当の自分であり、
本来の自分自身の姿を指し示している
自我”とのその違いは絶対的なもので、
真我が本来の本当に自分の姿なら、
自我”とは、
自分だけの身勝手な損得を考えながら、
思考し行動している姿をいう。
これは絶対的な存在であり、
全生命の本源的中枢で、
形象を有しない無形のものではあるが、
この世にただ一つ、
自分という存在の中に強く生きている
ところが多くの人間は、
無形であるがゆえにこの存在に気付けず、
目先の目に見える形象に振り回されながら、
いつの間にか、
知らず知らずの内に”自我”を形成していってしまう。
この”自我”は、
自分の我欲や恐れや怒りの中で創られる妄想的なもので、
『あの人が喜んでくれるなら…』と、
表面的には誰かの為に動いているかのように思われても、
結局これは、
自分が「相手に喜んで欲しい・・・」という”自我にすぎず、
こういう意識はやがて、
『やってあげたのに・・・』という”のに現象”を生み出し、
相手から自分の思い通りの反応が返ってこないと、
これがまたストレスを生み出していくことになる。
対して「真我は絶対的存在なもの
相手ではなく、
自分自身の意志だけで行動する絶対的な意識
であるなら、
絶対的なものには絶対的な力があることもまた真理

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