《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー196-
天風哲学の中に「真我」という言葉が出てくる。
この「真我」とは、
本当の自分であり、
本来の自分自身の姿を指し示している。
”自我”とのその違いは絶対的なもので、
「真我」が本来の本当に自分の姿なら、
”自我”とは、
自分だけの身勝手な損得を考えながら、
思考し行動している姿をいう。
これは絶対的な存在であり、
全生命の本源的中枢で、
形象を有しない無形のものではあるが、
この世にただ一つ、
「自分」という存在の中に強く生きている。
ところが多くの人間は、
無形であるがゆえにこの存在に気付けず、
目先の目に見える形象に振り回されながら、
いつの間にか、
知らず知らずの内に”自我”を形成していってしまう。
この”自我”は、
自分の我欲や恐れや怒りの中で創られる妄想的なもので、
『あの人が喜んでくれるなら…』と、
表面的には誰かの為に動いているかのように思われても、
結局これは、
自分が「相手に喜んで欲しい・・・」という”自我にすぎず、
こういう意識はやがて、
『やってあげたのに・・・』という”のに現象”を生み出し、
相手から自分の思い通りの反応が返ってこないと、
これがまたストレスを生み出していくことになる。
対して「真我」は絶対的存在なもの。
相手ではなく、
「自分自身の意志」だけで行動する絶対的な意識。
であるなら、
絶対的なものには絶対的な力があることもまた真理。