《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー153-
”同情心”は無礼に値する。
よく「他人の身になって・・・・」と口にする方がいる。
病に悩む人、
運命に翻弄され苦しんでいる人、
身近なところでも、
上司に叱責され落ちこんでいる人や、
彼女(彼)と上手く関係性が築けずに悩んでいる人がいると、
その人の話を聞きながら、
”理由の無い「相槌」”を打つことで、
何か人としての、
お互いの交わりに対する”義務感的行為”で向き合っている人。
こういう人は、
そういうことが「礼儀」だと勘違いしている人といえる。
こういう行為は「礼儀」どころか、
逆に”毒汁”を浴びせかけているのと変わりはない。
「関係性」を築く中で大切なことは、
「本質」を外すことなく相手の話を聞くことから始まる。
解り易い事例で言うなら、
遅刻をして上司に強い口調で叱責され落ちこんでいる人には、
『酷いよねぇ~あんな言い方しなくても・・・・』と、
”同情”することではなく、
自分の「真心」から、
”それがなぜ起きたのか?”という「本質」に気付くべく、
その人に諭し目を醒まさせることこそが「礼儀」である。