《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「職場を100倍楽しくするには?」 -10-
日々の仕事、
日々の職場を楽しくするには、
”目標”を目指さないことだ。
”目標”はただの道しるべ。
その昔、
朝廷の公事(くじ)の時に、
百官の席次を定めたただの白木に過ぎない。
”目標”を目指すところと思い込んでいては、
大きな過ちを引き起こしかねない。
それと”目的”。
そもそも「的」とは、
”それと同じような《性質》を持ったもの”という意味がある。
つまり、
目指すところと似通ったイメージはあるが、
目指すところそのものではないということ。
物事には、
感覚的に伝わるイメージと、
それそのものの《本質》というものが存在する。
イメージは印象でしかないから、
それ自体を追いかけたところで無意味なこと。
企業経営も同じ、
売上や利益は、
企業組織の目標としてよく掲げられる。
愚かな経営者や管理職は、
『目標を明確にすれば、
どうしたいという行動は明確になる!』と嘯く。
人生もビジネスも、
”目標”は切り離せないものと
思い込んでいること自体が大間違い。
特に、
人生は”目標”を明確に語れる人などいないだろう。
明確に語れない”目標”を、
切り離せないものと断定すること自体、
疑わしいものだ。
なんだってそうだ。
”目標”…たどり着きたいところ。
そうではなく、それは、
必然的に後からついてくるだけのもの。
野球で、
『ヒットを打ちたい!』という思いが、
強ければ強いだけ、
打率に影響するとしたら、
苦しい練習なんかするものはいなくなる。
「会社を良くしたい!
社長が本気になればなるほど、
社員も本気になっていく!」
こんな話を某セミナーで聞かされたけど、
人の心って、
そんな簡単には動かない。
最近は、
「数分間の瞑想であなたの願望は思いのまま!」とか、
新興宗教的取組が推奨が多いが、
”瞑想”はしっかりとした基本の上で行わなければ、
ストレスの元にもなりかねず、
鬱病すら発症しかねない。
表面的なものに惑わされず、
もっともっと、
「本質」だけを追い求めなければならない時代。
礼儀、
恩義、
仁義といった人としての「在り方」。
こういうことが、
職場生活の中にも求められている。