《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -39-
私達の持っている、
考え方、
物事の受け止め方、
体幹などの肉体状況。
こうしたものは、
実は、
自分のモノであって、
自分のモノではない。
私達にとって、
「自分のもの」とは、
”志意(しい)”・・・言い換えると「意識」だけである。
つまりはこういうことである。
例えば、
電車の中で、
携帯電話で大声で話をしている人間を見ると、
『非常識な奴だなぁ~!』と違和感を感じる。
その違和感を感じている自分の心の状態を、
私達は、
客観的に見ることができ、
感じることができる。
もしこの、
考え方や受け止め方などが、
自分自身だとしたら、
私達はこれを客観的に観察することは難しい。
なぜなら、
自分とは別の存在だからこそ、
客観視が可能であるのだから。
この客観的に見る力こそが、
私達の「志意=意識」そのものである。
でも、
多くの人は、
この考え方や受け止め方そのものを変えなさいという。
例えば、
消極的な考え方を変えろとか、
成功したいなら、
成功者と同じ考えをしなさいとか、
中には、
苦しくとも、
笑顔を振りまき、
前向きな言葉を使っていると、
周囲の人達まで笑顔にさせられる。
こんな切り口で、
自分の考え方や受け止め方を変えさせようとするから、
無理が生じて、
ストレスさえ感じるようになる。
客観視できるということは、
自分自身ではないということ。
よく言うでしょ。
「変えられないのは過去と他人 変えられるのは自分と未来!」
この原理原則からいっても、
考え方や、
受け止め方、
体幹などの肉体そのものを変えようとしないこと。
疲れたら休み、
考え方で詰まったり、
受け止め方で誤りと気付いたら、
視点を変えて「志意=意識」を変えること。
「志意=意識」
これこそが”自分そのもの”なのだから。
そうすれば、
必ず”悩み”は「課題」に代わる。
経営者や管理職というのは、
こういうことを部下に語り、
行動で示さなければならない。
詳細は是非セミナーで!
あっ!
来月9月20日(火)の「禰宜塾定例会・キッカケ気付きの会」で前回に続き、
「関係性とコミュニケーション」というテーマの中で、
この一部をお話しします。