第2,068号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「いつも”気持ち”の整理整頓をしよう!」 -37-

 

昨日のブログで”平均値”のお話をしたが、
どうも私達は、
みんなと同じようなことをしていないと、
変な奴」と見られるのかもしれない。
人は100人いれば100のカラーが存在する。
なのに、
考えてみれば、
私が小中学校の時代から、
どこかで、
同じようなスペック教育”に押し込まれていた気がする。
ズボンのすその幅とか、
髪の毛の長さとか、
組織の中でルール決め事)を作ることは大切なこと。
そして、
自分で選択して、
その組織に入ったのであるなら、
その”決め事”を守ることも重要なこと。

ただ、
そういうことは選挙権を持つ年頃までで、
そこから先は、
それぞれの基準で構わないと思う。
ただ、
今の時代なら、
携帯電話の使用マナーとか、
公共の場での行動基準は、
それぞれがきちんと自責の上で行わなくてはならない。
TVなどを見ていると、
一方通行を勝手に逆走したり、
禁止区域でも密猟を平気で行ったり、
日常生活の中でも、
スーパーのプライオリティー・スペースに、
平気で健常者が駐車して、
『勝手だろ!』
『他の奴だってやってるだろうが!』と
開き直るような輩は、
豆腐の角に頭でもぶつけて
死んでしまえと言いたいくらい論外だが、
まったく、
物差しで測ったように、
誰もかれもが、
同じである必要などどこにもない。

私達人間は、
どうも、
自分の好き嫌い、
得手不得手と、
自分勝手に「境界線」を引いて、
他人との区別差別をしていることに気付けていないようである。

先月の「禰宜塾定例会」でもお話しさせていただいたが、
この”境界”という言葉は、
仏教用語で”きょうがい”と読む。

難しく言えば礼儀・礼節。
誰かを紹介されたら
必ず次のステップは紹介者に連絡をするとか、
誰かに者を教わったら、
まずその教えてくれた人にお返しをするとか、
こういうことはついつい忘れがち。

日常生活の”悩み”を少なくするのは、
こうした、
当たり前のことのように認識していることを、
まず自分自身で、
今一度、
考え直し実行することにある。

誰かにモノを学んでも実践しなければ得たことにはならない。
学びに終わりなし!”という言葉があるが、
これはいろいろな人から
他方面にわたり学びなさいということではなく、
一つひとつをしっかりと実践していきなさいということ。
これがやれないで、
いろいろな人の話の表面的なスキルだけを身に着けても、
それを”学び”とはいわない。
そういうのは”聞きかじり”という。

 

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