《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”考える”ということを考えてみる」 ー29-
「思考(考え)」をする上で大切なことがもう一つある。
それは「コミュニケーション能力」だ。
昨今、
この手の書物は多く出ているが、
その多くが、
「コミュニケーション」というものを、
単に表面的に受け止め、
”他人と上手くやるスキル”のようにとらえている。
だから、
ほとんどの人はその”テクニック”はいくつも知っている。
知っているにも関わらず、
いまだに企業組織の中での悩みの第1位は”人間関係”というのもおかしな話だ。
笑顔や挨拶といったものも、
どこか”相手と上手くやるツール”のごとく捉え、
中には、
「明るい挨拶の習慣は他人の心も明るくする」とか、
「笑顔には周囲の心に笑顔の種を蒔く」とか、
「思いやりや優しい言葉はコミュニケーションの源」といった、どこか新興宗教的な感覚さえ覚えるような、
耳に心地よい言葉を並び立てているものもある。
いつも言っているけど、
「コミュニケーション能力」とは、
”相手と仲良くすること”ではない。
「思考(考え)」というものも、
相手に合わせるものではないはず。
「思考(考え)」というのは”自分の「信念」”が土壌に在って、
はじめて表に出せるもの。
誰かを故意に陥れるために使われることを省けば、
人の「思考(考え)」に、
正しいとか?
間違っているとか?
良いとか?
悪いといった基準など存在しないのだ。
「自分の考えは〇〇です」
「A君の考えは△△です」
お互いの意見を互いに尊重し合ったうえで、
お互いの意見の間に存在する乖離を調整する能力こそが、
「コミュニケーション能力」といわれるものであり、
決して相手の意見に合わせることではないはず。
つまり、
「思考(考え)」を整えるうえで、
”相手目線”の意識は捨て、
つねに「自分目線」の意識を強く持って
「信念」の上に整えなくてはならない。
そしてその発言には「自責」が付いてくる。
この「コミュニケーション能力」を高めるために必要なこと。
これは明日のブログで!