第3,918号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”考える”ということを考えてみる」  ー12-

 

Google君とあまり仲良くなりすぎて、
考えることなく答えを得るようになると、
感性。
情熱や想い。
歓喜や悲哀といった、
人としての大切な機能はどんどんと失われていく。
だから私は、
可能な限りGoogle君とは表面的な付き合いしかしない(笑。
調べるのは、
飲食店の検索や、
ゴルフ場やホテルの予約をするのに使う程度にとどめている。
それは、
セミナーや講演で、
『先生!〇〇のテーマでお願いします』と言われて、
要領よく自分以外の媒体を頼って、
それを元にそのご依頼に応えるような姿勢のスタンスを、
自分の「理念」としたくないから。

もう一つ、
思考」を邪魔するものがある。
それは・・・・”経験”だ。
特に仕事の世界では、
この経験が長ければ長いほど、
考える」ことが疎かになっていく。
経験を積むことは大切なコト。
その経験から得た知識もまた大切なものではあるが、
時に、
この”経験から得た知識”が、
考える」という行動を妨げてしまう。

子供頃、
ほとんどのことを知らなかった。
大人になり、
老人といわれるようになって、
20~30代の人達よりはるかに多くの経験を積み重ね、
ある程度の知識を持つようになり、
自分の周りの出来事に対して、
『あぁ~あれはこうだなぁ~』
『こんなこと当たり前だろぉ~』
こんなふうに受け止める自分が、
自分自身を、
その先に進めようとしなくなっていることを感じる時があるが、
考えてみると、
何かを知っている”ということほど、
夢もロマンも薄れて、
何かもの寂しい気もしなくはないと感じるようになった。

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