第3,868号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人は誰もが生まれながらに”感導力”を備えている!」 ー9-

 

もう一ついうなら、
感動」ってエネルギー波のようなものだと思う。
自分の懸命さ、
無我夢中さというか?
その度合いで波動の強さも変わり、
伝わるか伝わらないかが決められているような気がする。

よく、
気持ちは相手に伝わらなければ意味が無いんです」という人がいるが、
確かにそれはいえる。
でも向き合い方はその逆だと思う。
相手に伝えようとする人ほどテクニックに走り、
結果だけを追い求めようとしてしまうのが心理だ。

私のセミナーには有名な俳優さんも何名かいらしたが、
役者さんというのは、
相手に伝えようとする」と演技が臭くなる。
あの世阿弥の言葉に花は見手に咲くという言葉があるが、
同じ演技を見ても、
同じ花を見ても、
それを受け取る側の人によって、
見方も感じ方も変わってくるという意味の言葉だが、
サービス業の接客などの講演でもよくこの話をさせていただく、
お客様に喜んでいただくため
お客様のお役に立つため
こういう意識を強く持ちすぎると、
その人の接客は、
三文役者の芝居のように”臭くなる”ものだ。

私達は”他人と過去”はどうすることもできない。
この原理原則がある以上、
自分以外の他人様に、
感動」を与えるとか、
喜び”を与えるとか、
お客様が”価値”と感じるモノやコトを提供するという
その考える方が大間違いなコトだといえる。

感動」とはまずは・・・・”自分に発信することだ。
自分が堀と情熱を持って向き合う姿に、
自分自がに「感動」できれば、
必ずそれは他人様にも伝わる可能が生まれるはず

 

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