《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人は誰もが生まれながらに”感導力”を備えている!」 ー9-
もう一ついうなら、
「感動」ってエネルギー波のようなものだと思う。
自分の懸命さ、
無我夢中さというか?
その度合いで波動の強さも変わり、
伝わるか伝わらないかが決められているような気がする。
よく、
「気持ちは相手に伝わらなければ意味が無いんです」という人がいるが、
確かにそれはいえる。
でも向き合い方はその逆だと思う。
「相手に伝えよう」とする人ほどテクニックに走り、
結果だけを追い求めようとしてしまうのが心理だ。
私のセミナーには有名な俳優さんも何名かいらしたが、
役者さんというのは、
「相手に伝えようとする」と演技が臭くなる。
あの世阿弥の言葉に”花は見手に咲く”という言葉があるが、
同じ演技を見ても、
同じ花を見ても、
それを受け取る側の人によって、
見方も感じ方も変わってくるという意味の言葉だが、
サービス業の接客などの講演でもよくこの話をさせていただく、
「お客様に喜んでいただくため」
「お客様のお役に立つため」
こういう意識を強く持ちすぎると、
その人の接客は、
三文役者の芝居のように”臭くなる”ものだ。
私達は”他人と過去”はどうすることもできない。
この「原理原則」がある以上、
自分以外の他人様に、
「感動」を与えるとか、
”喜び”を与えるとか、
お客様が”価値”と感じるモノやコトを提供するという
その考える方が大間違いなコトだといえる。
「感動」とはまずは・・・・”自分”に発信することだ。
自分が堀と情熱を持って向き合う姿に、
自分自がに「感動」できれば、
必ずそれは他人様にも伝わる可能が生まれるはず。