《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-17-
”悪感情(怒り、恨み、悲しみ、妬み、嫉妬、不満、不平、劣等感といった感情)”を抱え込むと、
私達人間は、
普段なら何とも感じないようなことまでもが”気になりだす”。
そして、
まだ起きてもいないようなことを不安がったり、
確認もしていないようなことを、
まるでもう事実として起きているかのように受け止めたり。
これが”気がかり”という厄介な「感情状態」の一つだ。
例えば挨拶一つにしてもそうだ。
『お早う!』とこちらから声をかけたのに、
相手からは返事が無い。
”悪感情”に支配されていない時なら、
『今日は元気ないなぁ~?後で聞いてみるか?』と、
相手のことまでも心配できる余裕もあるのに、
これが”悪感情”に囚われている時はそうはいかない。
この時を挟んで、
1~2週間前からの出来事を無理して掘り起こすように、
『きっとあの時のことを根に持ってるんだ!』と思い込んだりするようになる。
こうなるともう止められない。
相手の態度が気になって気になって、
思い込みと勘違いからどんどんと妄想は膨らんでいく。
その後、
その挨拶で返事をしなかった相手が、
誰か別の人間と話をしている姿をたまたま目撃したりしたら、
この返事をしなかった相手だけに留まることなく、
『あいつかぁ~俺の悪口を吹き込んでいるのは・・・・』と、
さらに自分の中で妄想は広まりばかりだ。
だから私は、
「明るい挨拶は周囲の全ての人を明るくする」とか、
「あなたの明るい挨拶で職場を元気にしよう!」といった、
挨拶の奨励方法は好ましくないと考えている。
挨拶とは「自分のやれること」の基本中の基本のようなもの。
だから、
そこの”相手”という他人を置くこと自体が大間違いだ。
誰かに返事を返してもらうため?
職場を明るくするため?
周囲の人達に元気を届けるため?
そんな意志気(意識)で向き合っているから、
見返り(返事)を求めるようになっていく。
「自分のやれること」として向き合っていれば、
相手に対しての”悪感情”は湧き出る隙間もないはずだ。
企業の中での挨拶運動なども、
こうした「本質」を置き忘れると、
組織は全く違った方向に向いていく危惧に苛まれる。