第3,777号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”感情と思考”はコントロールできないが整理は可能!」-11-

 

楽しむ”の語源というか、
私の家柄は日本に数少ない神社ゆかりの苗字をいただいており、
本家の歴史は1,200年以上にもなる。
我が家は遠い分家の股分家だが、
それでも多くの古い書物が亡父の仏壇の中には残っている。

そんな書物を時折、
あてもなく目を通していた時、
この”楽しむ”という言葉で出逢ったことがある。
それが・・・(本文はかなり長いので抜粋)。

「此の時に当りて上天(あめ)初めて晴れ、
衆(もろもろ)倶に相見て面皆明白(おもみなしろ) し。
手を伸して歌ひ舞ふ。
相与( あひともに) に称曰はく、
「阿波礼。(あはれ)」〔言ふこころは天晴なり。〕
「阿那於茂志呂。(あなおもしろりし)」〔古語に、事の甚だ切なる、皆阿郡と称ふ。言ふこころは衆(もろかみ)の面明白(おもしろ)きなり。〕【前面が明るくなる意】
「阿那多能志。(あなたのし)」〔言ふこころは手を伸して舞ふなり。今楽しき事を指して多能志と謂ふは、此の意なり。〕【楽しは手伸し】・・・・・」

これは天照大御神が天岩戸から扉を少し開けて除いた時の様子。

楽し”とは「多能志」。
多くの志を持って向き合って(挑んで)いくと、
全ては“能(楽しい出来事、表現)”のようになる。
『さぁ~あなた様もその手を伸ばして私達と一緒に舞を・・・「手伸舞楽しもう)」』との意味がある。
これはその書物のその頁に挟まれていた亡父のメモ書きから。

楽しいからやるんじゃない
一所懸命に挑戦していくから。
無我夢中で取組んでいくから”楽しさ”というものが手に入る

企業組織の中でも、
「仕事は”楽しく”やろう!」を共有するのではなく、
こうした原理原則の中に在る本質の共有が成されていないと長続きはしない。

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