第3,635号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「人生の主役は”自分自身”でしかない!」 -57-

 

自分を主体に生きると、
時に誰かに迷惑をかけたり、
誰かの気分を害したりすることもある。
それなりのリスクや責任も負うことになる。
でも、
誰かの為に!”と、
耳に心地よい言葉を吐きながら、
どんなに他人が幸せになったとしても、
それが自分の自己犠牲の上にしか成り立っていないのなら、
こんな虚しいことは無い。

社会のルールはもとより、
それを超えて、
誰かの為に”と、
自分を犠牲にしてまで気を使い、
毎日の挨拶でさえ、
「明るく元気な挨拶で周囲の人達を明るくしよう!」と、
まるでスローガンを掲げるかのように、
朝礼などで大きな声出して、
従業員全員で唱和している時代遅れな企業もまだ多くあるが、
自分の人生で、
そうして自分を抑えて、
押し殺して生きていくことに何の意味があるのだろうか?
挨拶”だって、
誰かに元気を伝えるためにするのではない。
人としての”礼儀礼節“の中で、
やれること」の基本中の基本としてやるだけのもの。
それをまるで、
自分を売り込むためのセールストークのように取組んで、
何が残るというのか?

そうではなく大切なことは、
つねに自分の人生登山の頂には自分自身を置き
自分自身の幸せに責任をもって向き合うことだ。
そういう意識で人生に向き合っていれば、
挨拶だって、
『明るく元気に!』などといわれなくても、
必要に合わせて、
自分の気持ちを正直に表現できるはず。

これからはそういう「本質」が求められる時代になる。

禰宜猛のアバター

投稿者


最近の投稿


カテゴリー