《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「”現象”に惑わされず「本質」を見る!」 -3-
全員が同じ”事実”を見たとしても、
同じ解釈や理解「真実」と捉えるのはかなり難しいだろう。
生き方や育った環境や教育、
価値観や経験、宗教観、
知っている知識や情報、
もっというならその日の体調や気分など
前提条件が同じだということはまずありえないから。
同じ料理を食べても、
人の持つ”五味”という感覚は人それぞれに在るように、
その判断はそれぞれに違うのと同じことかもしれない。
そういう意味では、
「行列のできる店=美味い店」と思い込んで並ぶ人は、
現象に惑わされている最たる人達といえるかも?
もちろん多くの人が認める「真実」というのもあるだろう。
それでも反対派もかならずいる。
要は人の数だけ「真実」は存在する可能性があるということ。
あの名探偵コナンでも、
名探偵の工藤新一が時々くちにする、
『それが事実だとしても、本当に真実とは限らねえだろ!』
あれを聞くたびにうなずいてしまう(笑。
極端にいうなら、
”事実”というのは、
私達を惑わす幻のようなもので、
世の中にはそれを目にした人、
耳にした人の数だけの「解釈」が、
「真実」としてあるだけかも知れない。
だから私は顧問先ではいつも、
次の3つをしっかりと区別するよう指導している。
それは「事実」と「真実」と「私見」の3つだ。
特に会議などでこれをごちゃまぜにすると、
「それは事実なのか?」
「それは意見なのか?」
「それは誰の言っていた言葉なのか?」が判別が難しくなり、
個々の”感情論”になりがちで、
間違った判断に陥り易いくなるから。
人は感情の動物と言われるだけに感情論だけに走ると間違いなく方向を誤る。