《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》「折れない心を作るには”感情”を物差しにするな!」-46-
私達の多くは、
辛いと感じる出来事があった時、
『どうして自分がこんな目に合わなきゃいけないんだ?』と、
自分自身を苦しめている犯人探しをしがちである。
それは誰かであったり、
自分を取り巻く環境であったり、
自分以外のどこかに、
その原因(犯人)がいるものと思い込んで行動しがちになる。
こうして、
自分以外の誰か(どこか)に指先を向けると、
私達は、
なんとなく、
その問題の半分近くを解決したかのような錯覚に陥る。
でも、
こういう展開で進むと、
なぜか?
原因(犯人)が判明しても問題は解決しないことが多くある。
だいたい、
誰かに、
どこかに、
起きた問題の矛先を向ける人に、
幸せを感じている人は少ない。
そしてそういう人ほど、
世のため人のためを軽く口にし、
誰かのために活きる自分になろうなどと、
耳障りの良い言葉を多く口にする。
これは心理学でいう”自己憐憫症候”の一つで、
『私こそ犠牲者。
だって私はいつも、
こんなに誰かの役に立とうと懸命になってやっているでしょ?』
この思いを周囲の人に理解してもらおうと、
必死になって、
自分ではない自分を演じて生きていることに気付けていない。
大切なことは、
何が目の前に起ころうとも、
その”出来事(現象)”が、
自分に対して何を与えてくれようとしているのか?
こういう視点んで受け止められているか否かということ。