《“ねぎだけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「私達は多くの“思い込み”に左右されている!」-4-
“世のため他人のため”という言葉があるが、
その「本質」は一体どこに在るのか?
職場などでも、
仲間のためにとか、
周囲に役立つ人間になろうとか、
朝礼や研修でいわれるが、
具体的にはどういうこと?
会社の経営も、
「経世済民」という言葉が
“経済”という言葉の語源にはなっている。
ゴルフの例えで申し訳ないが、
ゴルフをしていると、
他のプレーヤーのボールを懸命に探してくれる人がいる。
一見すると、
他人様の打ったボールを、
他人様のために探している
優しい気配りのある人に見える。
でもこれは、
その人がそこそこの腕前で、
自分のプレーに余裕があってやれること。
これをまだまだ未熟な人間がやると、
後続組に迷惑をかけ、
強いてはゴルフ場全体でプレーする人や
ゴルフ場にも迷惑をかけることになりかねない。
「経世済民」とは、
中国の隋の時代に作られた言葉で、
“世を経め(おさめ)民の苦しみを済う(すくう)”ということ。
そして、
その根底には、
それに司るもの自らがまず、
身を正し、
自らの取組ごとに進出に愚直に向き合うことある。
他人様の役に立つ。
他人様のためになる。
“世のため他人のため”の「本質」とは、
目線は常に自らに向けろということ。
ポエムチックな“思い込み”で
大きな勘違いをなさらぬように!