第1,878号・ブログ

《“ねぎだけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》

「私達は多くの“思い込み”に左右されている!」-4-

 

“世のため他人のため”という言葉があるが、

その「本質」は一体どこに在るのか?

職場などでも、

仲間のためにとか、

周囲に役立つ人間になろうとか、

朝礼や研修でいわれるが、

具体的にはどういうこと?

会社の経営も、

「経世済民」という言葉が

“経済”という言葉の語源にはなっている。

 

ゴルフの例えで申し訳ないが、

ゴルフをしていると、

他のプレーヤーのボールを懸命に探してくれる人がいる。

一見すると、

他人様の打ったボールを、

他人様のために探している

優しい気配りのある人に見える。

でもこれは、

その人がそこそこの腕前で、

自分のプレーに余裕があってやれること。

これをまだまだ未熟な人間がやると、

後続組に迷惑をかけ、

強いてはゴルフ場全体でプレーする人や

ゴルフ場にも迷惑をかけることになりかねない。

 

「経世済民」とは、

中国の隋の時代に作られた言葉で、

“世を経め(おさめ)民の苦しみを済う(すくう)”ということ。

そして、

その根底には、

それに司るもの自らがまず、

身を正し、

自らの取組ごとに進出に愚直に向き合うことある。

 

他人様の役に立つ。

他人様のためになる。

“世のため他人のため”の「本質」とは、

目線は常に自らに向けろということ。

ポエムチックな“思い込み”で

大きな勘違いをなさらぬように!

 

 

 

 

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