第2,458号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-62-

 

62回にわたりお伝えしてきた、
「人生の”目的”」シリーズもいよいよ今回が最終回。

「人生の”目的”」について、
いろいろな角度からお伝えしてきたが、
最後にお伝えしたいのは、
「人生の”目的”」=「人生の”幸せ”」ではないということ。

つまるところ、
人生は、
最後の最後になってみなきゃ、
誰にも判らない。
多くの財を築き、
死後の財産分与が心配で死んでいく人。
お金は無かったけど、
いつも笑いの渦の中、
家族や仲間に囲まれ死んでいく人。
社会的に名を残し、
世のなかに多くのシステムや発明を残して死んでい行く人。
死にたくない!死にたくないと!
駄々をこねながら死んでいく人。
1,000人いれば1,000通りの生き方があるように、
死に方もまた、
1,000通りの死に方があるのだろう。
あるノベル賞受賞者のこんな話がある。
彼はノーベル賞をとるほどの発明をし、
人類に大きな貢献をした。
それこそ「人生の”目的”」としてなら最高レベルかも?
でも、
その研究のために、
家族との時間を割き、
安定した収入を捨て、
やっとお金が入ってきた頃にはもう60を超えていた。

つまり、
結果として幸せだったかどうか?
これは、
息を引き取る時、
その本人だけにしか自覚することのできないこと。
いうならば、
誰にお役立ちしたかとか、
世の中に役立ったかとかいう
そんな小さなことではないということ。

なによりも、
他人様に迷惑はかけていないか?
自分自身を裏切っていないか?
自分自身を騙していないか?

それを踏まえたうえで、
あなたが何を選択するか?
どういう行動をとるかということだけではないだろうか?

私ももう残すところ、
20年は無いだろう人生を、
悔いなく、
懸命に生きると約束しよう。

永いシリーズをありがとうございました。
また、
明日から、
新しいシリーズでお逢いしましょう。

 

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