第2,446号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-50-

「人生の”目的”」についてお伝えしてきたが、
ただ無情に時間だけが過ぎていく人生など
絶対にあってはならない。
なぜなら、
誰一人として、
この世に意味なく、
役割無く、
価値なく生まれてきた人など一人もいないから。

では、
その「人生の”目的”」はいつ見つかるのだろうか?
「人生の”目的”」はどこかに隠されているわけでもない。
そのあたりに落ちているわけでもない。
ましてや、
誰かが教えてくれたり、
プレゼントしてくれるわけでもない。
強いて言うなら、
これは私が人生の半分(60歳)を過ぎたころ、
やっとそれに気付けたことだが、
ごく日常生活の中、
それも、
フッとした時に見つかるというか”気付ける”こと。
仕事をしている時か、
デートをしている時か、
仲間と呑んでいる時か、
ゴルフをしている時か、
人それぞれに異なるだろうが、
間違いなく言えることは、
”見つける”ものではなく
「気付く」ものであることは確かだ。
つまり、
”幸福感”とか”満足感”といったものと、
どこか似ている感じがする。
恐らく、
幸せとか、
満足とか、
人生の目的とかは、
私達の”感情の世界”にだけ存在していることなのであろう。
従って、
”思考の世界”には存在していないから、
いくら考えてみたところで、
気付けるはずもない。

年齢も60だからとか、
早すぎるとか、
そういうこととは無関係で、
あなた自身が”気付くべき時”に気付くのだろう。
遅いからと心配することも無用。

その時は必ずやって来る。

まずは、
目の前の”やれること”を愚直に懸命にやることだ。
人生は日々の積み重ねだから、
どこか1日を取り除こうとしたら、
積み上げてきたものすべてが崩れ去ってしまう。

 

禰宜猛のアバター

投稿者


最近の投稿


カテゴリー