第2,442号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
私の後悔から生まれた教訓”人生の目的”はここにあった!”-46-

 

人生の”目的”を明確につかむには、
今現在の自分自身の生き方、
もっと解りやすくいうなら、
”生きるスタンス”を少し変えなくてはいけないかもしれない。
よく、
『生意気言ってすみませんが・・・・』
こういいながら、
本当に何もわかっていないような年頃で、
”生意気”な発言をする人がいる。
こういう人は、
全く自分自身が見えていない。
だから、
そうした言葉の最後に、
悪あがきのように、
『生意気なことを申しましたが
これからもご指導お願いいたします!』と
どこか辻褄の合わない言葉を、
表面的な言葉として並べてくる。
こういう若者は、
恐らく、
自分自身の”人生の目的”をしっかりと掴むまでに、
50~60年の時間を要することになるだろう。

人生も人間関係も複雑だけど、
ある意味、
極めてシンプルだ。

生れた時から完璧な人など存在しないのだから、
一つひとつ学習しながら変化させていけばよい。
人生は、
自分自身の中身を変えることなど必要ないが、
対人関係における、
言葉遣い、
表情や態度といったものは、
表面的な”術”に過ぎない。
そうした表面的な”術”に関しては、
年長者の声に聴く耳を持って、
自分自身が”変えなければならないこと”に
チャレンジしてみる覚悟が必要。

そうした表面的な”術”は、
誰しもが
変えなくてはならいところを複数持ち合わせている。

なぜなら、
人の行動原点が”欲”であり、
その中の代表的なものに、
「他人からよく思われたい」というのがある。
これが、
私達自身の表面的な言葉や表情や態度といったものを
単なる”術”として
知らず知らずのうちに
身に沁み込ませてしまう。

それを教えてくれるのは人生の先駆者しかいない。
それに耳を傾けないと、
結果的に
私達自身を追い求める「本質」を惑わされることになる。

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