《”ねぎたけ”こと・・・「禰宜 猛(ねぎ たけし)です」♪》
「”悩み”を考える!」 -40-
このシリーズ。
今日が最終回。
最後までありがとうございました。
神教の教えの中に、
人生道を歩む上で注意すべき大切なことは4つあるという。
それが、
「矜・燥・偏・急(きょう・そう・へん・きゅう)」の4つ。
”矜(きょう)”とは、
奥深い部分に存在している内的な驕慢の意味。
知識を追いかけるだけで、
『自分は死ぬまで学び‼』などと口走る人に多い。
表面的には合わせてくるけど、
チョッとでも思い通りにならなくなってくると、
身勝手に一方的な行動をとる。
他人の意見に聞く耳持たずのタイプで、
心の奥底に根深い奢りが渦巻いている。
”燥(そう)”とは、
焦りのことで、
肉体的な次元にちかい「焦り」を指す。
『急がなきゃ!』
『なんとかしなきゃ!』
こんな言葉をよく使う。
”偏(へん)”とは、
「偏見」のこと。
偏ったものの見方しかできない状態。
物事を一点からしか捉えることができず、
奥深い思考力に欠ける。
”急(きゅう)”とは、
字のとおりで「急ぎ慌てる」こと。
特に若い頃(45歳を迎えるまで)は、
自分の”気”が肉体的に満ち溢れていて、
それに思考力がついていけず。
足元を見忘れ、
ついつい先ばかりを追い求めてしまう。
人生道を歩むにはバランスが大切だが、
バランスよく物事を観察しないで、
人はどうしても、
自分の好き嫌い、
得手不得手で物事を判断し、
目先の損得に囚われる。
だからバランスを失い偏ったものの見方に陥りやすい。
偏ったものの見方になるのは、
燥(あせ)りがあるから。
燥りがあるのは、
自分の内部に根深い奢りがあるから。
『自分はこんなに勉強しているのに・・・・』という燥りと、
『それをなぜ認めてくれない!』という燥り。
だから、
急いで誰かを振り向かせようとする。
『ほら!俺って凄いだろ!』と、
得意げに、
学んだことを見せたり、
『こんなこと知っている?知らないの?』といわんばかりに。
人生道はまず「燥らない」ことだ。
いつ来るかは知らされてはいないけど、
必ず終わりが来る。
その終わりがいつ来るのか判らないのなら、
今この瞬間瞬間を懸命に、
一歩一歩づつ歩むしかない。
明日からは、
ちょうど今、
某大手食品会社の内定者研修で取組んでいる
「職場の人間関係」をお届けします。