《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー134-
私は居合道をはじめて8年になるが、
そこに「残心」という教えが在る。
実は、
この言葉の大切さもまた天風哲学の中に記されている。
スポーツの試合や勝負事(学業の試験や職場での成果結果)で、
判定が出て自分が勝利(思い描くとおり)した時、
多くの人は思わずそこで”勝ちへの喜び”を表現してしまう。
表情に笑みが生まれたり、
ガッツポーズをしてみたり、
『やったぁー!』と声に出してみたり、
剣道や居合道の試合でこれをやるとその場で失格となるが、
これは、
「残心=終始心構えに油断あるべからず」という独特な教えからきている。
ビジネスの社会でも昔は、
”目的意識”とか”達成意識”を強く持つことが求められていたが、
実は、
そうした意識は、
結果として自分に”ストレス”だけを残すことが多くあった。
考えてみれば、
”夢”も達成するために存在しているのではない。
”試験”も受かるためにだけ向き合うことではないはずなのに、
私達はどうしても”結果”・・・・・、
それも”自分が思い描く結果”だけに意識が向き、
どこかでそれに翻弄されていく自分に気付けないでいる。
こういう言葉もある。
「終わりを慎むこと始めの如くあるべし」
つまり、
”結果”は「自分の向き合い方」でその全てが「必然的に決まる」ということ。
考えてみると、
一流会社に見事合格して入社しても、
その結果として・・・・、
『あぁ~あの会社に入っていなかったらこんなことにはならなかったかもしれないのに・・・・・』
こういうことは人生で多くある。
これも、
その会社がどうのこうのというのではなく、
自分自身の、
「始まりの”在り方”」が少し違っていたのもかもしれない。