《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー133-
自分の身勝手な受け止め方から語ることを”屁理屈”というが、
「理屈」とは「摂理」の中に存在する「真理」であり、
そこには大きな違いがある。
ところが、
とかく私達はこの違いに気付けない。
自分が納得できないようなことを耳にしたり眼にすると、
『これの科学的根拠はなんですか?』と、
こういうことが、
あたかもそれに対して反論しているかのように思い込む。
天風哲学の学びの中では、
人生で大切なことの一つとして、
「目の前のこと、
耳にしたことを科学的とか哲学的に受け止めてはいけない
在るものはそこに在り無いものは無いのだから、
在るものは”在る”として素直に受け止める」
こういう意識が大切なコトであると教えてくれている。
「在るものは”在る”」・・・これは化学でもなければ、
哲学でもないく、
人として正しい「受け止め方」であり「真理」だ。