《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー87-
天風哲学の中に「第一義的な活き方」という言葉がある。
「第一義的な活き方」
言葉だけを見ると、
なんとも難しく意味が良く解らなかったが、
天風先生の解説を読むと、
『どんな場合にも、
例えば、
自分の身に病が在ろうが無かろうが、
運命が良かろうが悪かろうが、
その他の人生事情のいかんに関わらず、
いつも一切にして、
それに向き合う自分自身の「心の力」で、
「苦を楽しむの境涯に活きる活き方」をするにあり』とあるが、
これでもまだ難しい。
これを私なりに解釈するなら、
目の前に起きたことは困難・苦難もすべては「必然」。
全ては自分に何かを教えてくれようとしている現象に過ぎない。
だったら、
その苦しみも辛さも、
素直な気持ちで受け入れて、
自省のなかで感謝を振り返り、
その与えられた条件の中で「やれること」だけに集中する。
人間関係も仕事での諸条件もみんなそうだ。
嫌な奴がいるからと愚痴を言って逃げ出すか?
その中で「やれること」と向き合っていくか?
その差が自分自身に返って来るだけのこと・・・・。
そこから逃げていく人間は、
一時的に、
”嫌な奴”と離れられても、
必ずまた同じような人間が目の前にやって来る。
自分自身が「気付き」を手にするまで・・・・。
こう受け止め出した頃から人生は大きく変わっていった。