《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー88-
”消極的観念は自分の「信念」を殺してしまう”
「信念」というのは決して結果を望むことは無い。
対象に対して同じように強い思いがあったとしても、
そして、
自分の中に確信めいたものがあったとしても、
言い換えるなら、
この確信があるからこそ、
「結果はどっちでもいい全ては必然」と最終的に思える。
対して、
”執着”は自分を信じられないから湧き出してくる。
”不安”と”執着”はセットだ。
試験に受からなかったらどうしよう?
そうなると、
まだ試験を受けてもいないのに、
次に受けるところのことばかりを考え出し、
彼に嫌われたらどうしよう。
そうなるとまだ起きてもいない未来だけを思い描き、
大切な人が死んだらどうしよう?
そうなると”過去”ばかりを追うようになる。
天風先生は「信念」についてこう説かれている。
「私達が活きられているのは、
誰にでも多少なりの”信念”があるからだ。
どうすればその”信念”を確立させ強くさせられるか?
それには『信念を渙発させよ』」と・・・・。
「渙発」とは広く深く知らしめることだが、
解り易く言うなら、
自分の持つ「信念」を、
いつも口にして声に出し、
肉体に隅々にまでいきわたるくらい、
強い意志力をもっていけということ。