《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の”在り方”」を見る!」 ー78-
天風先生の書物を読んでいると、
いつも『ハッ!』とさせられることが多くある。
こんな言葉も出てくる。
”他人のことならともかく我がことになると、
これが悲しまずにいられるか怒らずにいられるか?”
天風哲学では、
こういう意識は一番持ってはいけないコトと説いている。
私なりの解釈だがこれを解り易くいうとこうなる。
人は、
他人が親しい人を亡くされていると、
『気を落とさないように・・・・』
『元気をだしてね』と励ましの言葉をかける。
怒りたくなるようなことが起きて、
怒っている他人を見ると、
『そうカッかするな落ち着いて・・・・』と諭しながら、
いざ、
自分のことになり、
悲しいことが起こるといつまでも過去の思い出に浸り、
悲しみから逃れられずにいる。
これは、
目の前の親しい人が亡くなったからではなく、
存命中に自分がその人に対して、
「後悔の無い向き合い方」をしてこなかったという、
”悲しみ”の気付きを与えてくれていることに気付きなさい。
こういうことを教えようとされている。
それに気付けば、
いつまでも過ぎたことに「気」を奪われることなく、
いま目の前の自分自身が「やれること」に没頭するはず。
そしてそれが亡くなられた方への最高の供養になる。
これは仏教の教えの中にも出てくる。
いつまでも悲しみを引きづっていると、
亡くなられた方は、
残してきた方が「気」になっていつまでも成仏できないという。