第5,003号・ブログ

《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「天風哲学に「人の在り方」を見る!」       ー79-

 

行 倦む勿なか
人は日々を送る中で誰もが”平穏無事”を願い祈る。
私達の願い祈る”平穏無事”とは、
『毎日が穏やかで何も起こらない』ことを意味している。
健康においても、
経済的においても、
仕事においても、
人間関係においても、
家族間のことに関しても、
そういう日々が死ぬまでずっと続いたら・・・・・。
いったい私達はどうなるのだろうか?
『それは願っても無いこと』と,
もしお考えならそれは考え方を変えた方が良い。
なぜなら、
悲しみも苦しみも起こらない人生には、
楽しさも喜びも感じることは不可能になる
から。
闇が在るから光を感じることが出来るように、
悲しいこと苦しいことがあるからこそ、
私達は楽しさや喜びを感じられる。
これを「正負の法則」というが、
天風哲学ではこれをこんなふうに記している。

行修はすべからく日常の生活行為であるべし
人間はどこまで向上しても”これでもうよい”という点は無い

禰宜猛のアバター

投稿者


最近の投稿


カテゴリー