《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」 ー70ー
我が国には、
伝統芸能といわれる「能」という素晴らしいものがあるが、
この「能」で、
一番大切な表現力の一つが「余白」といわれている。
「余白」これを「能」の世界では「間(ま)」という。
言葉を変えて解り易くいうなら、
「能」でも「落語」でもそうだが、
”動かない(語らない)瞬間の「間」”というものがある。
観衆はこの”止まった瞬間(「間」)”に、
息を詰め何かを感じ取る。
「落語」では「間」にドッと笑いが起きたりする。
人間関係でもこの「間」というものが必要な時がある。
「間」を私達の世界に移して考えるとそれは「沈黙」になる。
言葉巧みな手法も表現力の一つだが、
この「沈黙」は時に、
言葉や声や表情といったものより、
はるかに大きな表現力となる。
言い換えるなら、
私達は多くの場合に、
言葉、表情、態度といった、
相手からよく見えるものにだけを、
“術(やり方)”としてそれを用いて、
思い通りの結果を追い求めがちになるが、
大切なことはそんなところには損坐していないということだ。
言葉が上手く操れなくても、
表情が少し硬くても、
態度がぎこちなくても、
自分自身がそれに向き合う姿勢(在り方)さえ、
真摯で愚直で懸命であるなら、
必ず相手には、
それ以上のことが伝わるという大昔からの教えであり、
こういうところにこそ、
「気付きのキッカケ」が隠されているのであろう。