《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」 ー69ー
昔、
京都のある寺を訪れた時、
そこのご住職から、
「禅の庭」の中に出てくる、
「枯山水」の話を聞かせていただいたことがある。
この「枯山水」と呼ばれる庭つくりは、
主に岩と白砂で構成される。
真っ白に敷き詰められた白砂の上のどこに岩を配置するか?
その数は幾つは好ましいのか?
一つひとつの岩の大きさは?
白砂の表面の模様(砂紋)はどうするか?
多くの人はそういうことに思案を巡らせる。
もちろんそういうことも大切なことではあるが、
もっと大切なことが「枯山水」には存在している。
「枯山水」の構成の上で最も大切なことは、
それは・・・・・・・・・・・。
「余白(何もない空間)」だと。
「禅の庭」に立つと、
その場の静けさや深み。
落ち着きや広がり。
こういうものは何も語りはしないが、
私たち一人ひとりの心の中に何かを伝えてくれる。
これを果たしてくれるのが「余白」だ。
「余白」は空間表現において欠かすことのできない表現力。
実は、
私達の人間関係においてもこの「余白」を忘れると、
自分自身を安売りすることになり、
相手からその「本質」も見え難くなっていく。
では人生における「余白」とは?
続きはまた明日のブログで!