《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」 ー52ー
私達は「感情の生き物」といわれている。
「感情」に溢れ、
気持ちを豊かにすることは良いことだが、
それに振り回されるようになると自分を失いだす。
禅の世界では、
そうならないために「無になる(無心)」を進めるが、
これがまた難しい。
坐禅をしながら『無心にならなきゃ』と、
意識するだけでもう心は「無心の境地」を逸脱している。
そんな時は、
それを押さえようとしないことだ。
坐禅をしていても、
さまざまな思いが浮かんでくるのは止めようがない。
止めようのないモノは止めようとしないことだ。
”浮かぶに任せ消えるに任せる”
これが「無心」に近い在り様のことを指す。
静かな水面に小石を投じると波紋が広がる。
その波紋を食い止めようと手を入れれば、
また新たな波紋を生み出しより複雑になっていくもの。
放っておけば波紋は自然と治まっていく。
私達の生き方もこれに限る。
「雲無心にして岫(しゅう)を出ず」だ。
雲は何物にもとらわれず、
風が吹くままに形を変えいざなうままに動きながら、
「雲である本質」を失うことはない。
恐らくは”心配事”も何一つ無いであろう。