《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」 ー44ー
生きていく上で、
誰もが少なからず意識しているモノの中に、
”世間の常識”というもがある。
多くの人がこの「常識」を弁えているから、
私達の社会は成り立っているともいえる。
この「常識」を遵守することは大原則だが、
ともすると、
この「常識」にこだわるあまり、
「自分自身の常識」を歪めてしまっている人も多い。
表面的にだけ、
この「常識」に縛られると、
自由な発想は元より振る舞いも制限されてくることになる。
そうした見えないストレスが・・・・いつしか、
『誰も見てないから・・・・』
『みんながやっているから』
こういう”身勝手な常識”を生み出してしまう。
電車内や駐車場の「優先席や優先スペース」、
デパートや地下鉄の「優先エレベーター」など、
こうした利用状況を見ていると、
車椅子や体の不自由な人がいようがいまいが、
『あなたは何を優先して欲しいの?』と思ってしまうような人が平気な顔をして利用している。
こういう人は、
日頃は『私は常識人です』という仮面をかぶって、
自分じゃない自分を演じている人だ。
つまり、
「常識」というものを、
どこかに置き忘れてきてしまっている。
「常識」とはいったいどういうことなのか?
それは”多数決意見”ではない。
「常識」とはまさしく「人としての”在り方”」そのものだ。
これさえ見失わなければ、
『TVで言ってたから・・・・』
『有名な政治家が言ってたことだから・・・・』
『一部上場企業だから・・・・』
こういう”思い込みの常識”に惑わされなくなる。