《”ねぎたけ”こと・・・禰宜 猛(ねぎ たけし)です!♪》
「心配事は起きてから対応しても遅くない」 ー34ー
私達の多くは、
”当たり前のことほど感謝の意識が薄れがち”になっていく。
その中でも、
最も象徴的なのが「両親」の存在だ。
親がいるのは”当たり前”。
親が子どのことで心を砕くのは”当たり前”。
子供を守り子供に手を貸すのは”当たり前”。
仕事も同じだ。
仕事をやれているのが”当たり前”。
働ける場があるのは”当たり前”。
給与をもらうのは”当たり前”。
多くの人がどこかでそんなふうに思い込んでしまっている。
この”当たり前のこと”が、
どれほど「有難いこと」なのか?
それに気付けるのは、
多くの場合、
それを”失ってから”という人がほとんどだろう。
私達の心に生み出される”心配事”のほとんどが、
実は、
こういう”当たり前のこと”を、
「有難いこと」と気付けていないことが原因で起きている。
「あるべきものが あるべきところに あるべきように ある」
これが”当たり前”と言われるものの姿そのものだが、
この”当たり前”のことに、
どれほど自分が支えられ、
癒され、
励まされ、
勇気づけられているか?
いま一度、
ここで振り返ってみると、
心の中に潜む”心配事”は、
全ては「自分への課題」として変化していくかもしれない。